2017年1月1日元旦礼拝「人生を新しくする秘訣」(聖書 ピリピ3:17〜21、中心聖句 ピリピ3:20) ( 1.4/2017 )
説教者:横田法路師

聖書 ピリピ3:17〜21、中心聖句 ピリピ3:20
ピリピ
3:17 兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。
3:18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。
3:19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。


 私たちのゴールは天国です。ゴールをしっかり見ているでしょうか。

 偉大な信仰者たちは信仰のゆえに賞賛されました(ヘブル11:1〜)。見えるものや経験ではなく、信仰があるかどうかを見ておられ、期待しておられるのです。11章の信仰者には共通の特徴があります。「天にあるふるさと」を求めていたのです(13#8315;16)。そこでは父なる神様が待っておられます(ルカ15:20)。ステパノは殉教する時何を見たでしょう。「天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える(使徒7:56)」。通常神様は玉座に座っておられます。何のために立ち上がられたのでしょう。ステパノを迎えるためです。この世での別れは希望のない悲しみではありません。もっとよい所に旅立ち、やがて再会するのです。死の問題は避けていてもやがてやってきます。避けるのではなく備えましょう。死の備えができたとき、生きる備えができるのです。天が開かれる時、地上の閉ざされた門が開かれます。イエス様がわかればわかるほど、地上を大胆にクリエイティブに生きることができるのです。
「クリスチャンの現世における働きがあまりにも非力になってきたのは、彼らが来世のことをあまり考えなくなってきているからだ。天を目指せ、そうすれば地は添えて与えられるであろう。だが、地を目指すなら、そのいずれも手に入れることはできないであろう」(C.S.ルイス)。

 マタイ25:14〜30は再臨までの生活です。タラントをいくらもらったかは関係ありません。5タラントと2タラントの僕に主人が言った言葉は全く同じです。「良い忠実な僕よ、よくやった。・・・・・」。他の人と比べる必要はありません。最も小さい者、助けを必要としている人に愛を具体的に表すようにと言われています(25:34#8315;40)。それがタラントを用いて生きることです。神様はそれを見ておられ、報いてくださるのです(マタイ10:42)。

 ソン・ソルナム氏は先週クリスマスコンサートの途中、胸を押さえ、涙を流して演奏しておられました。心筋梗塞の手術をされているので、発作を心配しましたが、「体調は大丈夫、神様の臨在を感じたのです。神様の愛が迫って来て胸に手を置いて演奏しました」と言われました。新年は中東の危険な所に行かれます。なぜそこまでして福音を携えて行くのでしょうか。「自分の報いは一つだけです。やがて天国に行ってイエス様に会いたい、それだけです。顔をまだ見たことはありません。やがて顔を見ることできる、それだけで十分です。天国に行った時、私は一対一でなくてもいい、遠くからでもイエス様を見ることができたら、自分は満足なのです。それが願いです」。

 私たちの報いは何でしょう。地上の生涯で認められ、賞を受けてもそれは朽ちて行きます。私たちは周りの評価に心を奪われやすいものです。私たちのゴールは天の御国、そこでイエス様にお会いすることです。「良い忠実な僕よ」と主が喜んでくださり、主と喜びを共にする、それが究極のゴールです。そこから目を離さず、しっかり見て歩みましょう。天が開かれる時、地上の門が開かれていきます。私たちがもっと天の開かれたクリスチャンとなるように、もっと深く主を知る者とならせていただきましょう。

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