2017年1月22日「あなたの目はどこまで開いていますか?」(聖書 ヨハネ9:24〜41、中心聖句 Uコリント4:18) ( 1.26/2017 )
説教者:三股愛子師

聖書 ヨハネ9:24〜41、中心聖句 Uコリント4:18
ヨハネ
9:24 そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
9:25 すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです」。
9:26 そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。
9:27 彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。
9:28 そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。
9:29 モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。
9:30 そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。
9:31 わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。
9:32 生れつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。
9:33 もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。
9:34 これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。
9:35 イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。
9:36 彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。
9:37 イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。
9:38 すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
9:39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
9:40 そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
9:41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

Uコリント
4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。


 私たちは、肉体と心と霊から存在していると言われますが、それぞれ知覚する眼があり、三つの眼を持っているのです。
(1)肉の眼は、私たちの外側にある、汚いものや麗しいものを見ることができます。たとえ肉眼が見えなくてもできることはたくさんありますが、当時眼が見えないことは大変なことでした(ヨハネ9:1-7)。
(2)心の眼 肉眼から入って来るものを心の眼で見ていきますが、同じものを見ても、人によって違って見えるのです。彼の肉眼が開かれるだけでなく、心の眼も啓かれて行きました(13-34)。
(3)霊の眼 心の眼のさらに奥にあるものです。さらに霊の眼も啓かれて行きました(35-41)。

 霊の眼で見るべきものとは何でしょうか(Uコリント4:18)。永遠に価値あるものは肉眼で見ることはできませんが、霊の眼によって見ることができるのです。

(1)神ご自身(ヨハネ4:24)
 霊の眼をもって、もっと神ご自身を見て参りましょう。真の神様、全知全能の神様は、肉眼で見ることはできません。霊の眼をもって日々の生活の中で神様を仰ぎ見ていくのです。天地万物を創造され、無から有を生み出す御方です。自分の力ではどうしようもないような状況の中にあったとしても、全能な神様を霊の眼で見ることができるならば、決して絶望することはありません。愛の神様、きよい神様が見えているならば、きよさに対する渇望も起きてくるのです。共にいます神様に眼が啓かれて行く時、安心して生きて行くことができるのです。霊の眼で神様を見ていくことです。いつも共にいて下さる神様に眼が啓かれた者でありますように。
 
(2)神のご計画(エペソ1:17-19)
 地上の生涯が幸いであるだけでなく、神様のご計画、聖書に記されているご計画に対しても眼が啓かれていくことです。天地万物を創造され、最後に神様と親しい交わりのある存在として人間を創られたこと。最初の人間アダムとエバが罪を犯し神様との親しい交わりが絶たれてしまったこと。その罪から赦されるため、イエス様をこの地上に送り、十字架に架けられ、罪赦され救われるという素晴らしいご計画。そこで終わりではなく、やがて世の終わりが来て、主の御再臨、新天新地が到来すること。全て召された人々は栄光の体によみがえり永遠に主と共に生かされること。先に召された方たちと共に神様に仕えていくというこの素晴らしいご計画に加わって欲しいと神様は願っておられるのです。

(3)神との関係が断絶している人々の霊的状況
 霊的に神様との関係が断絶している人々のためにも、眼が啓かれていかなくてはなりません。どんなに豊かで良いものに囲まれていたとしても、彼らのゴールは滅びです。霊の眼が啓かれていない隣人のためにも、眼が啓かれなくてはならないのです。

 どうすれば霊的視力を得ることができるのでしょうか(ヨハネ3:3)。
(1)新生 新しく生まれることです(ローマ9:9-10)。イエス様を信じて口で告白することです(Tコリント12:3)。
(2)神の御言葉に養われることです(Uテモテ3:16-17)。
(3)聖霊による祈りを通して、霊の眼が啓かれていきます(使徒10:44)。
 神様は人々の霊の眼が啓かれること、神様のご計画に与る人々を求めておられるのです。神様の眼をもって、この世界を見て参りましょう。

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