2017年2月5日「すばらしい神の選びとその目標達成を祈る」(聖書 マタイ16:24、中心聖句 Tコリント15:58) ( 2.10/2017 )
説教者:横田武幸師

聖書 マタイ16:24、中心聖句 Tコリント15:58

マタイ
16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

Tコリント
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


 希望を失い絶望することは、地獄にいるようなものです。天国とは希望のある世界です。困難や試練の中にあっても、絶望しないで希望をもって生きていられるのです。荒野に道を設け、砂漠に川を流れさせることのできる神様を知っているならば大丈夫です(イザヤ43:19)。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである(Uコリント5:17)」。国籍や年齢に関係なく、誰でも大丈夫です。今良いと思っていることがいつまでも良いこととは限りません。神様に光を頂く時、どんなに弱い人も、どのような状況であっても希望を頂くことができるのです。親や環境は関係ありません。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます(使徒16:31)」。イエス様が示される道を歩んで行くならば大丈夫なのです。

 皆さん、夢や希望を持っているでしょう。誰もが夢を実現できる訳ではありません。私たちが弱くても、主が助けて下さるから大丈夫なのです。主が寄り添い、自分の力で歩けないような時には、抱き上げて連れて行って下さるのです。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう(マタイ11:28-29)」。イエス様が私たちに力を与えて下さるのです。渡ることのできないような川も背負って泳いで渡らせて下さることでしょう。イエス様を私たちの救い主として受け入れて行くならば、人生は間違いありません。親もやがていなくなり、お金もやがてなくなりますが、私たちの主は永遠に私たちを支え導いて下さるのです。ありがたいことです。神様が私たちを助けて下さるのです。

 先がわからない希望がないような虚しい人生を送っていたとしても、主にお出会いし、助けてと主に叫び求めるならば、手を伸ばし、私たちの手をしっかり握り引き上げて下さるのです。叱られることは良いことです。間違った方向に行きそうになると方向を正して下さるのです。私たちは神様に偏愛されているのです。特別に神様に愛されているのです。私たちは子どもや孫のため、時間やお金を使うものです。ましてや神様は、愛する私たちのため、力も富も、命さえも使って下さる御方なのです。

 その時代にあって、私たちの存在が世の光となることでしょう。私たち一人ひとりが主の証人なのです。「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである(Tコリント15:58)」。揺り動かされることなく、聖書の御言葉に堅く立つことです。「われは天地の創り主、全能の神を信ず」と信仰告白しています。先に救われた私たちのプラスの連鎖が生まれて来ることでしょう。地の塩、世の光として歩んで参りましょう。希望を持って一歩一歩、歩んで参りましょう。人生の道が拓かれて行くことでしょう。奇跡が起きることでしょう。主にしがみつくように、辛い時には「助けて」と叫び求めましょう。主は助け主です。決して無駄な人生になることはないのです。

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