2017年2月12日「アカシアの木のように」(聖書 詩篇第1篇、中心聖句 詩篇1:2) ( 2.13/2017 )
説教者:横田法路師
聖書 詩篇第1篇、中心聖句 詩篇1:2

詩篇
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
1:4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。


 日本は、教会やクリスチャンにとって優しい土壌ではないでしょう。そのような中で生き生きとしたクリスチャンとして歩んで行くためには、アカシアの木のように、根を下に深く水源(命の源)にまで下ろしていることです。大切なことは、目に見えないところで主にしっかりと繋がっていることです。

 時が来ると実を結ぶのです(1:2)。神の時まで待つことです。何をしても栄えるというのです。何をするかではなく(to do)、その人はどういう人か(to be)が問題なのです。そこを見誤ってはなりません。ヨセフの生涯を考えてみましょう。失望と希望の繰り返し、波乱万丈の生涯でしたが、いつも主と深く繋がっていたので最後は豊かに祝福されました(創世記49:22)。環境は問題ではありません。自分の力や頑張りでやろうとするのではなく、主に根差すこと、神様の力に依り頼むことです(コロサイ2:6-7)。

 根を下に張るとは、御言葉を喜ぶ人となることです(詩1:2)。御言葉は甘く、夜寝る間も御言葉に親しむのです、金や宝よりも大切なものです、どのような状況にあろうと御言葉から離れないことです(詩119:103、55、14、72、127、23、51、95)。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう(ヨシュア1:8)」。御言葉を思い巡らす、黙想するとは、口ずさむことです(詩篇1:2<新改訳>)。大事な御言葉は、声に出して暗誦することです。御言葉を思い巡らす中で、主の思いや力が注がれて来ることでしょう。御言葉を暗記しましょう。御言葉を豊かに宿らせる時、御霊に満たされるのです(コロサイ3:16、エペソ5:18-19)。聖霊に満たされることは、クリスチャン生涯の勝利の秘訣です。御霊に満たされるとは、キリストの言葉が豊かに宿ることです。聖霊は、キリストの御言葉を通して、私たちを導き、力を与えて下さり、御霊の実を結ばせて下さるのです。御言葉は、私たちを教え導いて下さるのです。

 御言葉は、私たちの霊的食物です(マタイ4:4)。霊に力を与えるのは、神の御言葉です。御言葉は内なる力を与えます。全てがわからなくても食べ物を食べるように、わかってもわからなくても御言葉を食べ(読み)、蓄える時、霊的力が与えられていくことでしょう。日々御言葉を開き、積み上げていくことが大切です。御言葉が心に宿り、御言葉が人生を導き、時が来ると豊かに実を結ばせて下さることでしょう。

 「イスラエルよ聞け(=シェマ)。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない(申命記6:4-9)」。子どもに何を残して行くことができるでしょうか。御言葉に根を張り、枝を伸ばして行くことです。ゆっくりであっても、方向が大切です。私たちが何に時間を掛けるのか。人生を豊かに祝福して下さるのは神の御言葉です。本当の教育とは、どれだけ神の御言葉に根を下ろすかということでしょう。

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