2017年4月16日「聖書が教える逆転人生の道」(聖書ヨハネ20:19〜23、中心聖句 ヨハネ20:19〜20)(4.19.2017) ( 4.19/2017 )
説教者:横田法路師
「聖書が教える逆転人生の道」
聖 書 ヨハネ20:19〜23、中心聖句 ヨハネ20:19-20
ヨハネ
20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

 十人の弟子たちは真っ暗闇の中、おびえていました。イエス様の十字架の死によって失望、絶望の底に突き落とされたのです。ところが、弟子たちの人生がこの場面で大きく変わります。それはよみがえったキリストに出会ったからです。このお方は、私たちにも全く同じ恵みを与えて下さいます。
1.キリストの平安(ヨハネ20:20)「エイレーネ」(旧約では「シャローム」)
恐れていた弟子たちの心に平安が訪れました。よみがえられた方が「平安あれ」と与えて下さったからです。「わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)。悩みや不安、人間の究極の恐れである死もイエス様は通過され、勝利を得て下さったのです。
2.愛と救いを与えるため
イエス様はわざわざ手とわきを見せられました。イエス様は栄光の肉体をもってよみがえられたから、釘跡や傷は一切ないと思うかもしれませんが、イエス様はあえて傷跡を残しておられます。大切なしるしだからです。「道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)イエス様を通して天国に行くことができます。私たちの罪、不信仰を十字架で背負って、その罰と呪いを受けて下さいました。「すべてが終った」(19:30)は「完成した」です。イエス様の使命は途中で頓挫したのではありません。十字架こそが使命の完遂だったのです。贖罪、そこに示されている犠牲の愛、これこそが愛なのです。
3.よみがえりの命の保証
世俗的な考え方は生きている時がすべてです。イエス様は、死は終わりではないと言われました(11:25)。アメリカにいた時、二十代で亡くなったクラスメイトの告別式に出ました。神学校の教頭が「私たちは悲しみます。でも希望のない悲しみではありません」と祈られました。地上での別れを経験する時、悲しみが伴うのは当然です。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」。一緒に悲しんでくれる人がいる時、人は安心して泣くことができます。周りの人の悲しみに寄り添うことの大切さを覚えたいと思います。その希望の一つ目は、死は終わりではなく永遠の御国への旅立ちということ、二つ目は、地上の別れは永遠の別れではなく、やがて天国で再会すること。私たちは死の問題に対して明確な答えを持っていないと、周りの人を助けることはできません。「わたしを信じる者は死んでも生きる」という確信が与えられる時、私たちは大胆に、謙遜に、確信をもって勧めることができます。
4.キリストの働きの継続
弟子たちを遣わすためにイエス様はよみがえられました。「父がわたしをおつかわしになったように」(20.:21)。イエス様を通して神様は一緒に働いて下さいました。同じように、私たちが働く時、よみがえられたイエス様が一緒に働いて下さるのです。その働きは現在進行形です。聖書に「倒されても滅びない」とあります(Uコリント4:7~10)。ノックダウンされてもノックアウトされないのです。何度でも神様は立ち上がらせて下さいます。イエス様は私たちには最悪と思える十字架の死を遂げられましたが、神様は最善のものを引き出して下さいました。私たちも最悪と思えるような状況に置かれても、主はそこから最善を引き出して下さるのです。失望や絶望を通る時があっても、決してThe Endではないのです。よみがえりの命と力が信じる者のうちに働き、そこから立ち上がらせて下さるのです。

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