2017年4月23日「苦しみの中にみわざをあらわされる神」(聖書ヨハネ9:1〜12、中心聖句ヨハネ9:3)(4.25.2017) ( 4.25/2017 )
説教者:横田法路師
「苦しみの中でみわざをあらわされる神」
聖書 ヨハネ9:1〜12、中心聖句ヨハネ9:3
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。わたしは、この世にいる間は、世の光である」。イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。


 苦しみに会った時、私たちは原因を探そうとします。後ろ向きになってはいけません。クリスチャンは目的を探しましょう。上を仰ぐ時、苦しみの目的を知ることができるのです。
私は数年前緑内障と診断され、自分の願ったコースを変更しなければならないのかと後ろ向きになりました。その時、ヨハネ9:3の御言葉が与えられました。たとえコースは変わってもゴール(神様の栄光を現わす使命)は変わらないのです。コースが変わったことによって、もっとみわざが栄光があらわされるのです。上を仰ぐ時、前に進む力が与えられます。神様はどんな大きな問題よりも偉大なお方です。
1.苦しみの中にみわざをあらわされる神
神のみわざとは・・・@奇跡(いやし=肉の目が開かれた) A信仰(霊の目が開かれ永遠の命が与えられた) B人格の成長(大胆に証しする人に変えられた)内側に大きな変化があって、別人に見えたのです(9)。何かをやることに重きを置き過ぎないように気をつけましょう。行動中心だと大切なものを見失います。どんな賜物より大切なのは人格、その人格の中心は愛です(Tコリント12:9-13:3)。
2.キリストの言葉を信じて従い続ける
 「シロアムの池に行って洗いなさい」(7)。この人は立ち上がって暗やみの中を歩き出しました。現状は変わらない、でも御言葉を信じて歩き続けたのです。池についても変化はない、でも状況に希望を置かず、神と神の約束の御言葉にいかりを下ろし続け、従い続けたのです。
3.共に働きを担うように招かれる神(4)
 「わたしたちは・・・」(4)。神様はみわざを独り占めにはされません。私たちを加えて下さいます。神様のみわざを共に担うよう招いて下さっているのです。目に見えるもの見えないもの一つひとつが組み合わされて、みわざが成し遂げられていくのです。ワンピースに過ぎなくても感謝して仕えていくなら、神様はつないで用いて下います。
タラントの例え話に、何のために2タラントの人が入っているのでしょうか。この2タラントが大事なのです。この世はみんな5タラントに憧れます。人と比べる必要はありません。神様は2タラントの人も5タラントの人も、まったく同じように喜び、報いて下さいます。2タラントの人がいっぱいいて喜んで仕えている、それが教会の素晴らしい姿だと思うのです。
この人はどこでみわざを経験したのでしょう。シロアムの池です。「シロアム」とは遣わされたものという意味です。池で人生を変えられた目的は、遣わされることです。「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」(ヨハネ20:21)。人生が変わった、それで終わりではありません。あなたしか出会うことのできない方に遣わされるためです。後ろ向きの人に福音、希望を伝えていただきたいのです。

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