2017年5月21日 「御言葉と祈り」使徒行伝4:29〜31 横田武幸師 ( 5.23/2017 )
2017年5月21日 「御言葉と祈り」 横田武幸師
主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。

今日お伝えしたい大切な言葉は「祈りましょう」です。これはすごい言葉です。人の悲しみや憤り、悩みの深さにまで届くことはできませんが、「祈りましょう」と言えるのです。「祈りましょう。祈っていますよ」、この言葉が言えたら100点満点です。「あなたがひざまずくとき、国家や人々の生き方を変えるために神があなたを用いようとしておられるのを考えたことがありますか」(ビル・ブライト師の言葉)。
イエス様は昇天される前、最後にメッセージを残されました。「あなたがたは行って、すべての国民を弟子とし・・・」(マタイ28:18〜20)。弟子たちは集まって祈り、五旬節に聖霊が降りました。伝道に出かけ、リバイバルが起き、五千人が信じて続々とバプテスマを受けました。弟子たちが祈ったことは「悪評を受けても、好評を博しても・・・神の僕として自分をあらわ」すことです(Uコリント6:8)。歓迎は続かず、迫害が来ました。幼いクリスチャンにも迫害の手が及び、弟子たちは心を痛めました。その時、イエス様から教わっていた奥の手、「天と地と海とその中のすべてのものとの造り主なる主」に祈りをささげました。「主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ・・」(使徒4:29〜31)。好評でも悪評でも、天地の造り主なる主が助けて下さいます。「主は、より頼む者を決してお見捨てにならない」、これは私が17歳の時にバプテスマを受けてから、今日に至るまでの結論です。
クリスチャンを迫害していたパウロに、「なぜわたしを迫害するのか」とイエス様は言われました。クリスチャンはイエス様の体、キリストと一つです。私たちを苦しめる人は神様に敵対しているのです。神様はあなたの味方です(ローマ8:31〜39)。あなたは、イエス様が命懸けであがない出し、救い出したものです。これからも命をかけて救い出して下さいます。どんなことがあっても捨てられません。試練が私たちをダメにすることはありません。確信を持った生活は、聖霊によってこの御言葉を受け入れているあなたにだけあるのです。
姦淫の女はイエス様の所に連れて来られました(ヨハネ8:1〜12)。石打ちだとイエス様に訴えます。イエス様が「あなたがたの中で罪がない者が・・・」と言われると、誰もいなくなりました。主はただ一人罰することができるお方でしたが、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい・・・」と言われました。「罰しない」と言われて、この人はどうしたらいいでしょう。また昔の生活、罪の生活を繰り返すのではないか、新しくなれるか不安だったでしょう。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、決してやみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(12)。強い言葉です。闇の内を歩くことは絶対にないのです。先導して下さり、一緒に行って下さる、だから大丈夫です。光を与える人になれるか不安でしょう。導き、寄り添い、歩けない時にはおぶって下さいます。先の事を思い煩ってはなりません。神様は私たちの味方です。イエス様から離れないで、声の聞こえる場所、手が届く近くに歩むことです。「あなたが右に行き、また左に行く時、そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く」(イザヤ30:21)。
「私は神の栄光と福音の前進のため、御名が崇められるため従って行きます」、ここから奇跡の生活が始まるのです。  (文責 高倉)

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