2017年7月2日 新しい戒めに生きるB「愛は高ぶらない、誇らない」 横田法路師 ( 7.5/2017 )
新しい戒めに生きるB「愛は高ぶらない、誇らない」
聖書 Tコリント13:1〜8  中心聖句 Tコリント13:4
「死ぬ時に富は持っていけないが、愛は持っていける」。スティーブ・ジョブズが病床で遺した言葉です。聖書は「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」(Tコリント13:13)と教えています。愛の究極の表れは十字架です。神様の愛は私たちを通して、「神様を愛し、隣人を愛し、失われた人を愛する」という3つの方向に流れていきます(ルカ19:10)。
アガペーの愛の性質 愛するとはどういうことか
妬み、高ぶり、プライドは、愛ではないということです(4)。人間関係をむしばみ、壊し、共同体、教会を分裂させるものです。妬みは自分にないもの(経済、賜物、能力等)を持っている人への怒りの感情です。自分の周りに見えない壁を築きます。高ぶりは人にないものを自分が持っている時、その人を見下します。周りの人が見えない壁を築きます。プライドも同じです。孤立し、孤独になります。
愛(謙遜)は一致、協力、和解をもたらし、関係を築き上げていきます。妬み、高ぶり、プライドの根底は自己中心です。神様の視点で見ることです。
イエス様の生涯は、いつも神様の視点に立ち、神様の御旨を求めていました。朝ごとに「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(マルコ1:11)という声を聞きました。イエス様が公の働きを始められる前の言葉です。働きがなくても、神様は存在そのものを喜ばれます。私たちは神様に愛されている神様の子どもです。朝ごとに感謝しましょう。
 「自分からは何事もすることができない」(ヨハネ5:30)。イエス様は自分のしたいことではなく、御旨を求め、父なる神様に尋ねておられました。私たちも尋ねましょう。私たちのすることは、父が私たちの内におられ、みわざをなされているのです(14:10)。だから高ぶることも落ち込むこともないのです。
パウロの生涯も神様の恵みによるものでした(Tコリント15:10)。能力は関係ありません。弱さの中に神様の力が現れるのです。(Uコリント12:9)。
神学校で、先生が学生たちに段ボールの箱を渡し、穴が開くほどボコボコにするよう言いました。その箱を電球にかぶせ、教室の電気を消しました。すると真っ暗な部屋に、その穴から光が輝きました。私たちの欠けている所、弱さを通して神様の光が輝くのです。完ぺきであったら光は漏れません。弱さを通して神様の恵みを体験し、証ししていくことができるのです。
イエス様の謙遜な生涯、十字架、よみがえりは「隅のかしら石」(エペソ2:20〜21)、礎となるためです。イエス様は私たちの身代わりとなって救いの岩となられました。その土台の上に教会が建て上げられ、私たちの人生も建て上げられていきます。先日、教団70周年記念誌の編集会議がありました。教団の歴史を学び、最後に一人の先生がお祈りされました。「神様、私たちはあなたの恵みとこれまでの働きの上に立っていることを覚えると共に、これからの働きの礎となることができますように。アーメン」。これまでの恵みと礎に感謝し、私たちも礎となるためにお祈りしていきたいと思います。   (文責 高倉京子)



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