2017.8.20 「神の翼」 イー・スノ師 ( 8.23/2017 )
「神の翼」
聖 書 詩篇17:6〜9  中心聖句 詩篇17:8
翼は神様が造られました(創世記1:21)。空を飛ぶワシをイメージして下さい。大きな翼を張って静かに舞い上がります。獲物を掴んで高い所まで舞い上がる力ある翼です。奴隷として生きるしかなかった民は主の救いを見ることができました(出19:14)。敵に囲まれ、自分の力で逃れることのできない私たちを、主は力強い翼をもって救い出すことができ、疲れることもないお方です(イザヤ40:31)。私たちも自分自身の翼を張って飛ぶのではありません。主の翼に乗って舞い上がることができるのです。ですから疲れることがありません。
 旧約時代、翼は天から与えられる力、祝福という理解を持っていました。主の翼の下にはどのような祝福があるのでしょう。翼の下に身を寄せようとしてきたルツとナオミは保護され、十分な報いを得、満たされました(ルツ2:12)。それだけではありません。主の守り以外の意味があります。主の臨在です。ケルビムの翼は贖罪所、神の箱を覆っています(出37:9)。主の臨在を守っています。ケルビムは神様の乗り物です(詩篇18:10)。神様のかたちを造ることはできません。でも神様は、主が確かにそこに臨在しておられることがわかるように、ケルビムを造ることを命じて下さったのです。詩篇36:7、57:1、61:4、91:4を主の保護と臨在をイメージしながら読みましょう。
 「あけぼのの翼」(詩篇139:9〜10)をイメージして下さい。真っ暗な中に太陽が昇る、地面や水面、あるいは雲の隙間からレーザーのような光、まるで羽ばたくようなイメージが想像できませんか。今いる所から遠く離れて身を隠しても、人が付いて行くこともできない所まで逃げたとしても、「あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます」(10)。決して離れることのできない主の臨在を、ダビデは「あけぼのの翼」という言葉を使って表現しました。主の愛、守り、臨在、翼にはそのような意味があるのです。「鳥がひなを守るように・・・」(イザヤ31:5)。新約においても、イエス様の働きはめんどりが子どもたちを覆って守るかのようでした(マタイ23:37)。そこには平安があり、あたたかい穏やかな主の守りがあります。その働きによって、今日も私たちは礼拝に来ています。なんと幸いなことでしょう。
 もう一つのイメージは、「主は・・・目のひとみのように守られた」(申命記32:9〜12)。目は体の器官の中でとても大切です。神様は私たち一人ひとりをご自身の体の一部のように守って下さるのです。瞳の中を覗くと何が見えるでしょう。離れていては見えませんが、近づいて顔と顔を向き合い、相手の瞳を覗くと自分が映っています。近づいて、親密な関係の中で、主が守ってくださるのです。
 詩篇17:6〜9に戻りましょう。イメージが伝わり、その恵みが私たちに与えられることを願います。ダビデが祈ったように、「主の翼を張って私を覆い、私を守って下さい。主の翼の上に私を乗せ、今のこの患難から救い出して下さい、翼の下には守りとあたたかい平安があります」という祈りができることを願います。この恵みをもう一人の誰かに伝えることができるように、この恵みを覚えていきたいと思います。

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