2017.08.27 新しい戒めに生きるF愛は希望を生み出します Tコリント13:4〜7 横田法路師 ( 8.29/2017 )
新しい戒めに生きるF愛は希望を生み出します 横田法路師

聖 書 Tコリント13:4〜7  中心聖句 Tコリント13:7
 愛するとは希望を持ち続けることです(ローマ5:5)。Love hopes everything.失望や夢破れることがあっても、愛が注がれる時、新しい希望が生み出されます。二つの種類の希望があります。
1.究極の希望
「新しい天と新しい地」(黙示録21:1〜4)では神様が共いて涙や痛みを取り除いて下さり、私たちの体をも完全に贖って下さいます。イエス様は体を持たずに復活されたのではありません。栄光の体で復活されました。私たちも栄光の体に変えられます。約束が実現する時が来ます(マラキ4:2)。イエス様の復活は個人的なことではなく初穂です(Tコリント15:20)。やがてイエス・キリストによって死んだ者もよみがえる、新創造はスタートしました。“guarantee(初穂)”は保証という意味があります。希望の根拠は御言葉、復活の事実にあります。究極の希望は神様の力で成し遂げられる救いの完成です。
2.一歩手前の希望
今を生きる私たちには希望が必要です。「究極の希望」を部分的に表す希望、発展途上の希望を神様は与えて下さいます。私たちを行動に駆り立てて導く、未来の青写真のような希望です。一生懸命頑張っても成果や変化、手応えがないことがあります。あんなに祈り、愛し、仕えたのに無駄だったのかと思うこともあります。人類の歴史において最高最大の無駄は主の十字架の死です。三十三歳で十字架、なんて無駄でしょう。しかし、イエス様の死は無駄ではありませんでした。三日目によみがえったことにより、全人類の救いの道が開かれました。「だから全力を注いで・・・」(Tコリント15:58)。あなたのわざもよみがえる時が来ます。主の前に覚えられているのです。「究極の希望」が「一歩手前の希望」を鼓舞し続けます。失望のままで終わらせません。
「我々は有限の失望を受け入れなければならないが、無限の希望を失ってはならない」(キング牧師)。これが究極の希望です。この希望を失わない時、過酷な中でも人々を生かす力が働いているのです。キング牧師は「一歩手前の希望」を語りました。それが『わたしには夢がある』というスピーチです。今日ここにいるあなたにも無限の希望が与えられています。だから私たちは、夢を与えて下さいと求めていこうではありませんか。
明日、九キ災のNPO設立総会です。私は九キ災のミッションを祈り考えました。@変わらない愛(エレミヤ31:3)A日本宣教の土壌づくり。実を結ぶために大事なのは良い地です(マルコ4:2〜20)。「日本は沼地、植えると腐らせてしまう」(『沈黙』より)。時間がかかり、地味な土壌づくりを続けていくことなしに日本宣教の展開はありません。九キ災の使命は愛すること、仕えることを通して、人々の心を耕していく土づくりの働きだと神様が教えて下さった時、私は喜びが沸いてきました。
愛は希望を生み出します。愛するとは希望を持ち続けることです。希望は失望に終わりません。究極の希望、愛が、私たちに一歩手前の希望を与え続けるからです。

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