〔9〕 わたしは福音を恥としない ( 7.14/2006 )
まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝する。わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。そのことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えてつかえている神である。わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。兄弟たちよ、このことを知らずにいてもらいたくない。わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなたがたの所に行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた。わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。そこで、わたしとしての切な願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
(ローマ人への手紙1章8節―17節)

「わたしは福音を恥としない」というのが、わたしの今朝のメッセージの中心でございます。パウロ先生が「わたしは福音を恥としない」、なぜこのようなことばを言うことができたのだろうか、と考えますと、使徒パウロは第一に、自分のうちになされた神様の恵みを思い、自分のうちに今なお働いていて下さる神様の豊かな恩寵を思うときに、福音こそ、わたしを造りかえ、わたしを今日あらしめているものだ。実に「福音ってすばらしい」と思ったのです。ローマには哲学があり、文化があり、またすばらしい強力な政治がありました。そういう中へ、新興宗教のキリスト教、イエス・キリストの福音を宣べ伝えるのです。彼はローマを敵に回しても、ローマを前にしても「我が身になされし主の御恵み」、その恩寵を思うときに、福音こそ我が誇るべきものだと彼は断言したのです。

「自分のうちになされた恵み」、一昨日の日曜日、わたしもローマ人への手紙の講解説教をしているわけですが、その説教の中で、本田先生のことをお話したんです。本田先生は愛の人ですから福岡での福音クルセードが開かれたときに、わざわざわたしどもの粗末な、床がバウンドするような家へ来てお泊まり下さいました。福岡にもホテルがないわけじゃないのにわたしたちの狭苦しい所へおいで下さった。先生は泊まってゆかれ、お帰りの時には「横田君、これ」と言ってホテル代を置いてゆかれるんです。昨日もお話しましたように、当時のわたしどもの教会は開拓教会でして、伝道しないでも赤字、伝道したらもっと赤字というような教会財政のときでありましたから本当に助かりました。

本田先生がお見えになると必ず早天祈祷会をなさるわけです。まあ、それより先に、わたしも早天祈祷をすませておくのですが、本田先生の大きい声がよく聞こえるのです。大きい家じゃないですから。その時本田先生がいつも歌われる歌が決まっているのです。「如何なる恵みぞかかる身をも、妙なる救に入れ給うとは」アメイジンググレイス(驚くばかりの恵なりき)ですね。尊く用いられている御器である先生は、来る朝ごとに神様の前に恩寵に溶かされているのです。この者を救って下さった恵みを思うと、「歌わであるべき主のみ恵み」

この朝この所にお集まりの皆さんも、自らの「切り出された岩と掘りだされた穴とを思い見よ」とありますように、自分がどこから救われたが、どんなときに救われたのか、今どんな場所に置かれているのか、また、これからどうなっていくのか、このことを思うときに、「如何なる恵みぞかかる身をも」と感謝があふれるのです。ハレルヤ!!

パウロ先生も、「キリスト・イエス、罪人を救うためにこの世に来たれり」「わたしはその罪人の親分だ」「わたしほど罪深い者はない。主イエス・キリスト様はこの罪深いわたしを救って下さったのだ」―彼は恩寵に溶かされていたんですね。わたしたちのクリスチャン生涯というのは、恩寵の生涯です。奉仕も、献金も、伝道も、神様の豊かな愛に泣かされ、その愛に応えて生きる生き方なんです。かつては悔し涙とか、罪のために泣いてた涙だったのが、神様の御愛に泣けてくるようになるんですね。朝早く主の御前の恵みの御座に出て「如何なる恵みぞ」と歌っていくとき、わたしどもの心は溶かされます。十字架のキリスト様を思うとき「ああ、ようもようも救って下さったことよ」と感謝するのです。パウロはその恩寵に応えて、「わたしは福音を恥としない」と言った。世の中には豊かな人達もいる、賢い人もいる、いろいろな人々が住んでいますけれど、「この福音はわたしを変えた。わたしを救った。わたしを今、支えていて下さる、この福音をわたしは恥としない、誇りとする!!」「誇る者は主を誇れ、十字架のほか誇るところあらざれ」彼はひとりの伝道者として伝道にあけくれました。

彼によって福音が宣べ伝えられるときに、ひとりひとりの変革が始まった。人は生まれ変わり、潔められ、町は変えられていくということを、彼は体験していきました。理論ではなかった。理屈ではなかった。「この川の流れる所では、すべてのものが生きている」というエゼキエルのみことばのように、彼が福音に燃やされ、福音を携え、福音のために出て行き、福音を宣べ伝えるところに、革命が行われていった。ローマとて恐るるに足らず、この福音が行くところ勝利が与えられると信じておりました。ですから、彼は言いました。「わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。」ローマ1・15、16

昨日は伊藤先生が、御自分の姿をわたしたちの前にさらけ出してお話し下さいました。お聞きしていると涙が流れてきました。本当にすばらしいお話でした。わたしはこの修養会に招いていただいて、まことに恵みにあずかりました。わたしも自分のことをさらけ出すのがいいんじゃないかと思うんですが…。

わたしは神学校を卒業しまして、母教会の高松に帰りました。今、唐渡先生が牧会なさっている、その教会に遣わされたのです。結婚後、わたしの郷里の金蔵寺で、開拓伝道をいたしました。そして1年半後、また高松に帰って伝道させていただいたりしました。今日の修養会場の真ん前で座っていらっしゃる野木先生、婦人の先生ですが、その時は野木先生が主管牧師で、わたしが駆け出しの伝道者でありました。神学校を卒業して帰りましたわたしはね、なかなか、強情なところなどもありまして、先生とうまく行かないんですね。先生はああだとおっしゃるけど、わたしはこうだというような調子で…。わたしはノイローゼにな・るた・ちじゃありませんが、それでもわたしの心中の葛藤はひどく極限に達した感がありました。そしてある時、「神様、これ以上、もうわたしは我慢なりません。もうわたしはここにおれません」。そう祈り、心を決めまして、「よし、もうここを失礼しよう」と。わたしは四国の伝道に使命を感じてですね、「わたしは四国に伝道するんだ、四国に!」なんて、まあ気負いもありましたが…。そこでわたしは、「出よう、そのために開拓伝道をしよう」、そう決断しまして、クリスマスの礼拝のとき、当日はわたしが説教の当番でしたので礼拝説教を終った後、「皆さん、わたしは今日でこの教会をやめさせてもらいます。突然ではありますけれど、わたしはやめます。そして、今から神様をあてにして開拓伝道に出ます」と言い、つづいて、「神の御子にますイエスのために罪を敵として立つは誰ぞ すべてを捨てて従いまつらん…」と大きな声で歌った。そしてわたしはその時、もう自分は「背水の陣」とばかり一切を捨てて教会から出てしまったのです。高松新生教会を出た時の話です。

今だから話そうというのがありますが、そのような状態でした。そして、高松の西浜新町という所がありますが、そこに家を1軒借りたのです。2階建てのかわいい家です。どこからも経済的支援がないですから、開拓伝道と言いましても大変でした。それで、家内の姉婿が、敷島工務店という建築業をやっておりましたので、わたしはそこの現場監督に雇ってもらい、家内は家庭教師をする、そういうような状態でのスタートでした。わたしは、本当にやり遂げる覚悟でしたので、朝は4時に起き、仕事に出勤する前にはトラクト配布をし、帰宅してからは集会をする。それで集会をはじめたらもう何人か来るんですね。これは調子がいいなあと感謝しました。わたしは高松の開拓伝道の時に、「日本イエス・キリスト教団 高松中央教会」って名前をつけたんです。(笑)「中央教会」っていう名前でビジョンがわかるでしょう。高松で1番大きい教会になりたいと思いましてね。看板も掛けたんです、自分で。小さい借家に大きい看板を掲げた。そうしたある日、教団委員会から一通の呼び出しの電報が来ました。「君、なんていうことをやっているのか」「やめなさい」そして「あなたは福岡へ行きなさい。もう、そういうような開拓伝道はしちゃいけない」その時、わたしは「いいえ、わたしは福岡へは行きません!」そのとき、本田先生もおられてですね、「横田君!従いなさい!!」もうグァーッと言われましたが、その時にわたしは「グッ」と腹の中に力を入れた。「あなた、案外強情やねえ」、「これほど言ってるのに分からんのかね」。まあ、そういうような強い言葉と同時に、本田先生はグァーッと言われたかと思うと、また「フワーッ」っと説かれた。「横田君あのね、僕もね、ステパノ聖書学院という看板を出してやっていた時に、沢村校長がね、『君、その看板を下ろしなさい』、塩屋の神学校に合併しろと言われた時、男としてね、看板を下ろすのはつらかったよ」とこう言われたとき、「ほーっ」としてですね、ああ、この先生はわたしの気持をよく分かってくれているんじゃないかな、と思った。本当に、自分は命懸けで開拓伝道をやるんだ。そして「高松中央教会」という大きい看板を出しているんだ。看板を掲げたからには下ろすことはできない。しかしその時、「従え!」つらかったです。涙が流れてきた。もう泣いたですね。

福岡の教会とは、当時のニュースによるならば、問題の多い大変な教会ということを聞いておりました。なかなかむずかしいってことも聞いておりました。「行きなさい」「従え」そして本田先生がその時、付け加えられました。」「君がね、従ったときにね、やがて牧会するときに信徒に『従え』と言うことができる」。自分が神に従うときに、人々にまた「従え」と言うことができる。わたしはこのことを通して今も忘れられない貴重な体験をしました。愛する皆さん、わたしたちの信仰生活にはいろいろな出来事があります。あるいは、これこそは自分がやりとげたい、これこそは譲れないというようなこともあろうかと思います。しかし主が語られた時は、それも捨てなくちゃならない。メンツがあるとか、なんとかかんとか言ってわたしたちは従うことを遅らせたり、あるいは従うことを拒んだりいたしますが、従うところに、神の恵みが注がれるのではないでしょうか。

わたしは今、振り返ってみますと、あの時に、強い言葉で「従え」と言って下さったのは、愛の言葉だったと思います。従うことができたということを恵みだと思います。昨日、伊藤先生が、「腹を立てながらでも神様に従ったらいい、従わないよりはましだ」ということをおっしゃいましたが、神が語って下さるお言葉に従っていくっていうことは、本当に、祝福の始まりなんです。そうなんです。聖会、礼拝、また個人個人で聖書を読んでいる時に、神はお一人お一人の心の中に、お語り下さいます。その時、「アーメン、主よ従います」、これが祝福された、力に満ちた生涯なんです。

パウロはどうですか。彼が復活の主にお会いしてから、彼の生涯は従う生涯でした。イエス様の生涯を見ますときに、父の御旨一筋に、イエス様は歩んで行かれたではありませんか。わたしは、そういうようなことで、福岡へ、神様によって遣わしていただきました。拾っていただいたんです。あの時に、高松中央教会と看板を掛けてですね、偉そうに、あるいはやせ我慢でやっていても、今から考えてみるとあるいは挫折していたんじゃないかなと思うんです。大きなことを言ったけど、看板をあとではずさなくちゃならん、どこかで情けない生活をしているんじゃないかなあと思うんです。ああ、よくもよくも拾って下さったことよと感謝し、危なかったなあと思ってまた感謝するんですね。神様は愛だから、ちゃんと導いて下さる。その時に従えば、恵み、祝福、勝利です。それとは反対に「我」をつっぱってやっていたならば、挫折であり、敗北であり、堕落が始まるわけです。

福岡へ来まして思ったのですが、九州の博多、福岡という所は、「ヘエーッ、大きい町だなあ」と思いました。それに比べて「教会は小さい教会だなあ」と思いました。本当に小さい、ススだらけのような民家を借りた教会でありました。着任早々特別集会を開きました。ポスター貼り、少ない人数でチラシを配り、一生懸命働きました。その講師は誰か、「横田武幸」っていう講師です(特別講師をお迎えする予算がないので)。その時にね、自分なりにこう思ったんです。一般の人には本田弘慈先生であろうが、横田武幸であろうが、別に関係ないんじゃないかと思ったんですね。話を聞けば違いがわかりますけれども、ノンクリスチャンには名前だけじゃわからない。ですからね、わたしは「講師、横田武幸」と書きました。そして特別集会を開いた。ところが誰も来てくれないんです。3日間の特別集会に誰ひとり来てくれない。名前が悪かったのかどうか知りません。その時にわたしはちょっとがっかりしましてね…。わずかな、4、5人集まった信徒の前で「ああ、特別集会をしても来てくれませんね。笛吹けど踊らず、悲しめど胸打たざりき、ですね」とわたしは言ったんですよ、教会の役員さんにそう言った。その時に、その役員の兄弟、今も恵まれた兄弟ですが、こう言ってくれましたよ。「先生、人が来なくてもいいじゃないですか、人が来てくれるまで吹いて吹いて吹きまくりましょう」と言ってくれたんですよ。いい信徒ですね。本当にそうなんです。わたしたちは、伝道して、「ああ、だめだ、もうだめだ」と言う。ある人達は同様に「ああ、うちの家族はだめだ」、あるいは「この教会はだめだ」、「この町はだめだ。日本で一番難しい場所はここに違いない」と思うような時があるかも知れません。しかし「吹いて吹いて吹くまくりましょう、人が来るまで吹き続けましょう」と言ってくれました。わたしはそのことを聞いて、伝道はこれだと思った。困難にひるまないで、いつも積極的に、来なければ来ないでいい、(いや、来てもらわないといけませんけれども)(笑)吹き続けるべきじゃないでしょうか。

天幕伝道もいたしました。最初の年、教団からの援助、毎月1万5千円はわたしたち家族のためのものでした。そして伝道局からは6万円、その年の開拓伝道費としていただきました。月割りにすると5千円です。その夏の第1回目の天幕伝道の時に、「よし、1か8か」―おわかりのように、教会会計は赤字ばかりでしたが―この6万円、皆使ってやろうと、天幕をよその教会から借りてきてやりました。けれども幕をあけたところが、誰も来てくれない。チラシを1万枚作って配ったのです。全然来ないわけじゃないんですけれども、天幕の近くまでは来るのですが天幕の中をちょっと見るとね、人が座ってないんですよ、誰も。だから帰っていってしまう。「始まってないんかな」、「人が1人も来てない」、そう言って、引き返して行くわけです。「ああ、これだな」と思いましてね。で、あくる日は・・天幕に垂れをパーッと張りまして、外側からは人が来てないということが見えないようにしておきました。そうしたら、中まではいってこないと見えませんから(笑)近くまで様子を見に来た人に、どうぞ、どうぞ、座って下さい」と言うわけであります。

今であれば「6万円ぐらい」と思いますけれども、教団伝道局からの1年間の援助を全部注ぎこんでやった天幕伝道に誰も集まらんっていうのは、本当に泣くに泣けんというような感じでした。祈らないわけじゃないし、チラシを配らなかったわけでもないし、そして講師も立派な講師をお招きしているし、どうして来ないんだろうと思いましてね。それに他の人々も福岡の暑さに当てられて、若い神学生もおなかの調子が悪いとか、招いた講師の先生も腹痛で脂汗をかいておられる状態…。もう、皮肉じゃないですけど、「どの兵隊もこの兵隊も、使いものにならんねぇ」と思ったりしました。こういう状態でありましたが、その時に2人救われました。難産の子でしたが、今もその中の1人は教会に連なっており、クリスチャンホームを作っております。なかなか思うようにいかない。しかしわたしたちは積極的に、困難を見て恐れ退くのではなく、絶えず主の戦いを進めていかなくちゃならない。その時思ったのは、わたしたち夫婦が言って慰め合ったのはね、「犬は吠える、されどキャラバンは進む」という諺ことわざでありますが、少ない、1握りの信者さんしかいない教会でありながらも、この人がどうの、あの人がこうのと、なんだかんだと言って信徒同士ぶつかり合っているわけです。―この説教のテープを、帰って教会の皆さんに聞いてもらったら、これはちょっとトラブルが起きるかもしれませんが、まあ、上手に聞いて下さると信じますが(笑)―そういう時にわたしは思いました。「犬は吠える」(犬というといけない、「羊は吠える」かもしれませんけれど)いろいろなことを人は言うけれども、あるいは困った事は起きるけれども、されど「主の御戦は進むなり、空しく立ちて遅れをとるな、友よ奮い立て」と聖歌にありますが、積極的にやらなくちゃならないと確信しました。

こういうような話をしておりますと、勇ましい状態のような感じがしますが、開拓伝道をずっとしていました時、妻が過労のために目が悪くなりまして、九州大学の付属病院で診てもらいますと、緑内障の疑いがあると言う。これは失明する、と言われた。それから家内は九大だけでなく、兵庫県立尼崎病院に、有名な先生がいるということで、そこに入院したり、京都大学の先生の所に診察を受けに行ったり、それから阪大病院へ、やはり入院をくりかえしました。そういう状態から退院したかと思うと、今度はね、極度の貧血になって、足が立たなくなった。貧血が強くなると「そんなになるんかなあ」と思いますが、実際立てなくなった。そして医者に診てもらったら、「こりゃあ大変だ。すぐ入院しなさい」ということで、また九州大学付属病院に入院しました。子供3人を残して家内は入院したわけです。長男2才、上の子は5才と7才の時でした。そのころは福岡だけでなく、同じ福岡の北九州市小倉に、わたしは開拓伝道をしておりました。毎週木曜日、小さい教会でありながら、開拓伝道を別の所にもしておりました。子供にね、夕食の弁当をちゃんと作っておいて―まあ、ちょっと哀れなような感じがしますけれども(笑)―小さい子供に、これをちゃんと食べるのよ、お父さんは伝道に行くから、と言って、木曜日は北九州に出かけておりました。帰って来るのは夜遅いわけです。困難はないわけじゃない。しかし伝道をつづけました。

40日ほど入院していた家内が、嬉しいことに退院するとき、家内をわたしは迎えに行きました。今日は退院だ、でも退院して家に直行しないんですよ。どこへ行くのか。運転しながら、「ここはどう思う?」、「この土地は教会にどうだろうか―」。借地、借家に生活しておりましたが、「この所はどうだろうか」「ここはどうか」と家へはまっすぐ帰らないのでした。ハレルヤ本当に、苦しみや試練がありますけれども、そこをいつも恵みに変えて下さるのが神様です。困難や苦しみは、姿を変えた神の祝福なんですね。わたしたちは、苦難というものは人相が悪いものですから、一見するとおどろき、あわてたり悲観したりしますが、これらは姿を変えた祝福なんです。わたしは今日まで、そう信じ、そう体験してきております。家内が極度の貧血、緑内障(後日、感謝にも阪大病院によると、緑内障ではない)というような患難も、会堂建築の土地を捜すというような祝福となったんですよ、皆さん。ハレルヤです。神は顧かえりみ給う。ですから、わたしたちの教会、わたしたちの伝道、わたしたちの人生は困難はあるけれども、困難を乗りこえる世界がある。涙を流す時があるけれども、その涙も玉と輝くのです。ハレルヤ。ですからわたしたちはね、いつも信じたいんです。積極的に生きようじゃないですか。

主は生き給う。主は今もですね、わたしたちを顧みていて下さるんです。立場の違いはあるでしょうが、神は今も信じる者すべてを辱しめ給わないのです。わたしはこの教会はね、今はこんなに小さい借家で、そして床が腐ってフワフワするような所でやっているが、これがわたしたちの教会の姿ではないと思っておりました。「この教会は成長する」と思った。このままではね、神様は済ませない、この教会は必ず成長すると信じました。現実は困難が続きましたけれども、神は育て給う。先ほどね(本田先生による紹介の中で)わたしどもの教会は山の中に建っていると言われましたけれど、山の中ではないんですよ。本田先生にお言葉を返すようで悪いのですが、山のふもとなんです。その山の名前は油山ってね、いい名前でしょう。ある方が、横田先生はときどき変な名前を付ける。自分の息子にも法路ポウロって名前をつけたりするから、油山シャローム礼拝堂という名の、油山というのも、あれは聖霊の油と、オリブ山にまねて付けたんじゃないだろうかと、いいように誤解して下さった方があります。その油山シャローム礼拝堂を建てる時にですね、銀行からどうしてもお金を5百万円借り入れなくちゃならなかった。その5百万円借りたら、5万円、月々の支払いをしなくちゃならない。小さい教会が、これはできるだろうかというように、本当に、先に対して不安がありました。先ほどは、「吹いて吹いて吹きまくりましょう」と、いいことを言ってくれる役員さんがおりましたがね、今度はその役員さんじゃなかったけれど、ほかの役員さんの奥さんがね―いい人がおりましたよ―この方はこう言ってくれました。「先生、信仰を持って進みましょう。ヨルダン川の、あの契約の箱をかいた祭司達が足を踏み入れた時に、川の水が2つに分かれました。あのようにわたしたちは、神様の事業をするんですから、踏み出しましょう。行きましょう」。

今日、この所に役員級の方々が大勢お見えでしょうが、こういうようなことを言って下されば先生方も慰めと励ましを受けると思うんです。その時にですね、続いて言いました。「それに、わたしたちお互いを見たらどうでしょう。イエス様を信じた時からこの方、みんなの生活は祝福されてきたじゃないですか。かつては貧乏であっても、その貧乏が続いているのではなくて、貧乏から祝福の生活へと経済的にも祝されてきたじゃないですか。踏み出しましょう」また、「神の恵みは、末広がりの恩寵ですから、今わたしたちの頭数だけを数えているならば難しいし、大変かもしれないけれども、神はこれからも救われる人を教会に加えて下さる!!」女の方ですからわたしのようにワァーッとやりませんけどね、「加えて下さるんじゃないですか」とこう静かに言いましたけれどもね。アーメンです。困難はある、あるいは難しいことも。しかし、教会は成長するんです。「あなたの教会が現状維持で留まることは神の御意ではない」、教会は成長する。教会は人数も増える、財的にも豊かになってくる、これは神の御意です。信徒一同の生活が、行けば行くほど先ぼそりでなくって、後ほど良きものを出いだし給う神の恵みの世界です。末広がりの恩寵です。本当にこのことをわたしたちは信じたいんです。ですから、わたしたちがプランを立てる時、先がだめになるんじゃないだろうかと思って考えるなら、そんなプランは立てない方がましです。神は祝し給う。神は育て給う。神の教会は成長して行く。そう信じなくちゃならない。

ある時、「本田先生、土地を見て、お祈りして下さい」、自動車に乗っていただいて、現地へご案内いたしました。うしろ側に山があり、左側に谷川があり、右側には池があり、周りには家がないんです。「池あり、山あり、谷あり。しかし、家がない」所へ来た。(笑)本田先生いわく、「横田君、土地買った、土地買ったと言うけど、もっとましな所はなかったんか」とこう言われる。これが先生の実感なんですね。「はい、こういうような所を買いました」。だけどこちらは信仰をもって買っていますから、ただ、そう言われたからって、やっぱりやめとこうか、転売しようかとか、そんな気持は起きません。その次、2回目に見てもらいに行きました。もうその時は、重量鉄骨を組んで、だいぶでき上がっていました。先生は「おお、横田君、やったねえ。これは日本イエス・キリスト教団でも、1番とは言わないまでも、それに近いような会堂じゃないか」とこう言って下さった。その時に「あのねえ、横田君、僕はここへ建てるのを、いいとも悪いとも言わんよ」と言われた。「いい」といくら本田先生が言われても、人が集まらなかったらどうするか、悪いと言っても集まるかもしれないし。だから「いいとも悪いとも言わんよ」、これが2回目のお言葉だった。昨年、第3回目、見てもらった時、「ああ、よかったねえ、本当に君はよくやったねえ」と言って下さいました。皆さん、人の言葉でどうこうじゃないですが、神の言葉で生きるんですね。人々は集まって来るんです。バプテスマのヨハネが荒野で伝道しているとね、ヨルダン川まで人々は集まって来ました。「救われるためにわたしたちはどうしたらいいんですか」と。

ある人々は、場所が難しいとか、あれがいかん、これがいかんと、難しいことばかりの理由を並べたてますが、そこに聖霊が注がれ、神の言葉によって生きていると「こは何者ぞ」と驚くばかりの神の奇跡の御業があらわれるんじゃないでしょうか。そこなんです。わたしにも後輩がだいぶおります。田舎だからだめ、あそこだからだめって言う人もいますが、そうじゃない。田舎は田舎としても、神様は生きておられる。都会にだけ、イエス・キリスト様は全能性を発揮しますけれども、田舎へ行きますと無能性を顕わされるというようなお方ではない。主を信じましょう。

皆さん、今、わたしたちの教会は二部礼拝をするようになりました。日曜日の朝、6時から7時半までの第一礼拝。去年の10月の終りからするようになりました。わたしも、日曜というと忙しいのですが、行って6時から説教をするわけです。そして10時半から第二礼拝。韓国の教会をまねてるみたいですが、第三礼拝までは行きませんけれども、そのようにし始めた。「わたしたちの教会は成長する」とわたしは信じています。ああ、神様の恩寵というものは、「後ほどよきものを出す」。水をぶどう酒に変え、変えただけじゃない、そのぶどう酒はすばらしかった。教会は成長しますよ、皆さん。教会は油山山麓にありますけれど、神様は人々を送って下さった。ある教会の役員の方が来て「ここへ教会を建ててどうするんですか。信者さんは毎週ここへ来るんですか」と。ちょうど、この道後温泉のね、その山のふもとみたいな感じの所です。そういう所へ人は来るんですよ。人々は毎週日曜日・水曜日に来るんですね。そして増えていくんです。主は本当にすばらしいお方です。

わたしたちが福岡に赴任した年の秋の事でした。わたしたちの教会がまだ小さい、先ほど話したように、フワフワするような床の6帖2間の教会の時にね、小島伊助先生が第50回の九州聖会講師としてお見えになって、「横田君、君の所へお祈りに行こう」と聖会のあい間に来て下さって、わたしどもの教会の戸をガラガラッと開けて1歩中へお入りになった時、「横田君、僕は幻を見たよ」何の幻だろう。「この教会が、やがて九州聖会の会場教会になって御奉仕するよ」わたしはそのことを聞いた時に、「アーメン、主よ感謝します!」、疑わない方ですから。アーメン、主よ感謝します。だけど現実は借家で、それこそ8千円の家賃に対して8千円の献金で、という時でしたけれども、幻を見た。九州修養会の会場教会になる!!それは、10年目に実現しました。今、わたしどもの教会、油山シャローム礼拝堂を会場にして九州聖会が第60回目から開かれ、今年は第66回、九州聖会というのが開かれるのです。その幻は実現したんです。幻より10年目に実現しました時、小島先生にその事を申し上げました。「先生、覚えていらっしゃいますか」「覚えているよ」と。皆さん、小さい2匹の魚、5つのパンだけを見ていただけではいけない。信仰の目、神の目をもってその群を見るとき、群は小さいままではない。

わたしたちは、困難や、苦しいこと、それだけを見て、大変だ、大変だとか、あるいは、しょんぼりする必要はない。本当に、10年後に幻が実現した時は、感激しました。「神はイスラエルを見捨てるか、決して然らず」と御言にありますが、神の教会を育てて下さいます。礼拝堂ができ、そしていろいろできてきましたが3年前の事です。わたしたちの教会に、またわたしに以前から与えられていたひとつのビジョンがあります。どうかこの教会が、自分達だけの教会でなくて、他の教会にも奉仕ができるような教会になるように。そのわたしたちにできる奉仕とは何だろうか、ということを考えました時に、わたしにはひとつのビジョンがあった。信徒がみんな、神様の良き働き人になって奉仕をする、伝道の奉仕ができるようにと、そういうような訓練の場所をつくることが必要ではないだろうか、と思いました。そういうビジョンをもち、祈りながらですね、新聞を見る。わたしはいつもですね、不動産の広告が載りますが、あれが楽しみなんです。「ほう、安いのがあるね」と思ったり、「ああ、広い土地がでてきたね」とか、これを何か月、何年見たかと思うんですけれども、いつもそういうようにしている。ある時に、新聞を見ていると、2563坪の土地が出ているんです。ほう、これだったら「信徒トレーニングセンター」ぐらいは作るのにいいかもしれないなあ、わたしはそう思いました。祈り、さっそく役員会にも皆さんともはかり、その土地を買いました。ある信徒はこう言いました。「先生、そんなの買わんでいいじゃないですか。うちはもう会堂がこんなに立派にできてるんですから。また別の所にやるんですか」と。たちまちのためにお金は出すかもしれないが、将来のための投資はなかなかできにくいものです。しかし役員も信徒も信仰によって立ち上がり、神様はそれもやらせて下さいました。今はタケノコが取れたり、桧が生えたりしておりますが、やがて神は「時いたらば成就すべきわが言」とありますから、きっとやって下さると信じます。教会はこのままではない。明日に向かって教会は大きく伸びてゆく。この教会はわたしの教会じゃない、「主の教会だ」、主の教会は、主が育て、励まし、導いて下さると信じます。しかし、このような神様のみわざも、霊魂れいこんが砕かれるところから始まる。

わたしは思います、最初申し上げましたように、「従え」と言われた時に、涙ながらに「男だ。メンツがある。あの高松中央教会の看板を下ろせるものか」というところから、悔い改めて「アーメン、主よ従います」と従うところから恵みが始まったのです。神様は従う人に導きを与え、訓練を与え、また、勇気と力を与え、またアイデアを与えて進ませて下さるんじゃないでしょうか。それから牧師館もですね、7DKの牧師館ができました。7部屋あり、ダイニングキッチンがある。それも、牧師館を建てる時に、「先生、もうあのフワフワしている牧師館からかわってもらわんといかんですね」というようなことになりました(丁度14年間生活しましたが)。そして、わたしは、「理想的な牧師館とは」と図面をひきました。予算は考えないで。図面をひいて「これならいいね」、そして家内に「どう、あなたは結婚してこの方、2DKか3DKばかりの図面をひいていたようやけど、これが牧師館として僕はいいと思うんだけど」、子供3人の部屋もありますし、応接間もあって、書斎もあって、それから居間もあって、そして夫婦の部屋もあって結構なことだ。ありとあらゆるものも整っていて…。そして役員会に出しまして、「これをどうしても通して下さいよ!!」と言わなかった。「一応図面をひきましたが、予算との関係もありましょうから、皆さん、どうぞ削るならこことここを引いて下さい」と、削ってもよい所に赤線を入れて出しました。そしたら役員会は、「先生、そんなに削る必要はありませんよ、これでいきましょう」と言ってくれました。役員会で決まったから、もうひとつ、教会総会です。こんなすばらしい、わたしたちの信者の中で、わたしの家が一番大きいんですよ。それこそ、ジェラシーがわくと思われるほどのものなんですよ。それを教会総会にかけた時にね、意見が出た。「先生、それよりもっと広くしたらどうですか」、「台所を広くしたらいいですよ」という意見と、それからもうひとつ「書斎をもっと大きくして下さい」、2つの意見が出た。「まあ台所はもういいですよ、これでいいですよ」だけど書斎が大きいことはいいことだと思いましてですね「アーメン。それならお願いしましょう」ということでね、わたしが理想的と思ったものよりは、書斎がもうひとまわり大きくなって、役員会、総会を通ってきたんです。では金があってかというと、ないんです。天にはいっぱいありますけど、わたしどものポケットにはないんです。しかしね、愛と祈りのある所には与えられるんですよ。

わたしがちょうど、その牧師館建設の時に読んでいた本は「あなたの教会は必ず成長する」というドクター・シューラーの本です。よし、困難はあるけれども、ひとつ祈って、やりましょう。そしてこれから牧師館を建てる教会にとって、福岡の、あの油山のふもとにあります牧師館が励みになるというようになりましたから、本当に感謝です。しかし、人間的なことではなくて、神はわたしたちのうちに、今の現状ではだめだ、わたしたちが砕かれて、献げて、従って行くところに、個人生活においても教会においても必ず神は勝利をとって下さる。まずわたしたち自身の中からリバイバルが始まっていく必要がある。

パウロ先生自らが体験し、そしてこの福音が宣べ伝えられていくところに、確かに革命が起きた。あのダイナミックな、命を与えて止まない福音をわたしたちは持っているんです!! 今、これをいただいているんです!! 宝の持ち腐れしないように!! あの一タラントをいただいた人が失敗を恐れて地面の中へしまいこんでイエス様からお叱りを受けましたね。

わたしたちは本当に感謝と喜びを持って聖霊の力によって福音を大胆に宣べ伝えようじゃないですか。ハレルヤ、アーメン。

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