福岡教会 シャロームチャペルの歴史 ( 6.30/2006 )
油山シャロームチャペルは、プロテスタントの正統的、福音派に属する日本イエスキリスト教団に所属しております。

日本のプロテスタントの歴史を振返りますと、起源は幕末まで遡ります。諸外国が日本に開放と通商を求めて訪日し、同時に宣教師も来訪して外人居留地を中心として布教を開始した事に始まります。江戸時代の長い鎖国とキリスト教禁教の時代が終わり明治に入っても、暫くの間キリスト教は認知されない厳しい期間が続きましたが、徐々にキリスト教排除主義の風潮も減り始め、明治20年には、旧新約聖書の日本語訳が完成し、ようやく日本のプロテスタント教会は発展の途に至ります。

ここでプロテスタントの一大転機が訪れます。イギリス人宣教師B.F.バックストン師が1890年に来日、松江を中心に献身的な伝道を展開し、やがてウィルクス師がこの働きに参加し、後に日本キリスト教史に名を残す「松江バンド」が形成されました。バックストン師は松江の赤山に聖書塾を開き、多くの弟子を養成しましたが、やがて両師はさらに大きなビジョンを持ち、1903年イギリスにおいて「日本伝道隊」を創立、1905年神戸で伝道を開始。また1907年、神戸市平野において日本伝道隊聖書学校が始められ、さらに1924年神戸市御影において聖書学舎を設立、1930年には塩屋の高台に移転(ちなみに大衆伝道者としてつとに知られている、本田弘慈師が育成されたのもこの塩屋の山においてでした)。第二次世界大戦の激しい試練の中にも神学校は奇跡的に守られ、1958年「関西聖書神学校」と校名を新しくし、現在までに1000名以上の伝道師を送り出す発展を遂げております。

この神戸関西地区を中心として、上記の神学校卒業生なども参加していくつかの教会が誕生しました。戦争中の強制合併などを合体分離を経て、1951年7月、神戸市兵庫区、神戸中央教会を会場に、「日本イエス・キリスト教団 創立総会」が、21教会から教職・信徒代表委員が招集されて開催されました。初代委員長には小島伊助師、顧問には沢村五郎師が選出された後、全教師の教会任命書が朗読されました。当時の資料によると、教会数21、会員数1343名で教団が構成されていたそうです。

そして、第3回総会(1953年)には、教団の大同団結が実現し、40教会が結集しました。その後、教会の加入・設立が相次ぎ、教団の発展成長に伴って組織構成は変遷を遂げ、各部は各局へと昇格していきました。

1955年になり、教団の九州活動の拠点として福岡が選ばれ、福岡教会が誕生しました。これがシャロームチャペルのルーツなのです。

1963年横田武幸師夫妻が着任され、それ以前に数名の伝道師の方が天幕伝道で地道で着実な布教を続けられておりましたが、それを引き継ぎ精力的な行動を開始されました。毎年信者さんが増え続け、すぐに高砂町にプレハブの教会が建ち、師の魂を揺さぶるメッセージとアットホームな暖かい雰囲気の教会として、確実に成長を遂げます。小倉の伝道所への応援など、布教の範囲を広げながら、1972年に待望のシャロームチャペルが、福岡市油山山麓の森と水に囲まれた地に完成しました。

更にその後、福岡市早良区に野芥シャロームチャペル、東区に名島シャロームチャペルを設立。小倉と熊本に伝道所の発展に寄与し、現在はそれぞれ教会に成長しております。九州宣教ビジョンとして、教団の九州での伝道活動は確実な成果を挙げ、聖書のメッセージを伝える役目を果たし、九州各県に教会が設立されるまでに至りました。

油山シャロームチャペルは、聖書を神の言葉と信じ、人を救う力があるキリストの十字架と復活の福音を、聖霊により宣べ伝えてまいります。また教会は愛と祈りと奉仕の共同体であり、その街にあってよい証の生活をしております。

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