プロテスタント・キリスト教会 用語解説

わたしが教会に通い始めた頃、教会でよく使われている言葉がありました。
初心者のわたしには意味が分からず、家に帰って国語辞典で調べました。
今も辞典で調べた言葉を覚えています。
それが「アーメン」と「ハレルヤ」でした。
教会に通い始めた方々に少しでも参考になればいいなあと思ってここに掲載しています。  横田武幸

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教会で使われる用語は知っているものから、初めての方には意味が全く分からないものもあります。特に外国から入ってきた物ですから、横文字も多いです。ここでは入門編として初歩の用語解説を掲載します。参考になれば幸いです。

◆教会(きょうかい、Church)

教会は、イエス・キリストの弟子たちの共同体が起源です。弟子たちはしだいに自分たちの使命を認識し、独立した集団を形成するようになり、自分たちの共同体を「エクレシア」と呼びました、これが日本語では「教会」と翻訳されております。
弟子たちは、イエスが十字架に架かって亡くなった後、神によって復活させられ、自分たちとともに存在し、自分たちを新しい民として呼び集めていること、そしてこの民を通じて世界中人々へ救いの福音伝道を継続していると信じました(教会の原点)。
その後、キリスト教は歴史の中で発展していきましたが、教会は多くの教派に分裂するに至りました。しかし、基本的に神の福音を世に伝える事を使命とする点では同じですので、今日では制度や教義の違いを越えて再統一を実現しようとする動きが高まっております。


◆牧師(ぼくし、Pastor)

厳密に言いますと、プロテスタント教会において「牧師」は教師資格者の称号ではなく、教会に仕えて礼拝で説教をし、聖礼典を執行し信徒を牧会する勤め(教会担任教師)を指します。プロテスタント教会には「聖職者」と「一般信徒」の区別はありませんので、牧師も信徒の一人です。その中で特に説教を語り、聖礼典(洗礼、聖餐)を行う任務を教会によって与えられているのが牧師です。


◆聖書(せいしょ、Bible)

キリスト教会の信仰の源泉、規範である書物です。この聖書は、神の霊感によって書かれた言葉で、クリスチャンの唯一無二の道標なのです。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の書物から成っています。知られざる大ベストセラーでもあります。


◆十字架(じゅうじか、Cross)

ローマ帝国時代、謀叛者に対して行った残虐な刑罰に十字架の刑罰がありました。十字架に架けられ亡くなったイエス・キリストは、その後復活し、弟子たちに人類の救いのための命の犠牲だった事を示されました。イエスの苦しみ、喘ぎ、孤独、屈辱に満ちた死は、実はそれを通して神が全人類の罪を贖罪し、これを救おうとする慈愛であり、人類への救いの意志と理解されました。十字架は人間に対する救いの呼びかけであり、シンボルなのです。


◆福音(ふくいん、Gospel)

「良い知らせ」という意味です。イエス・キリストによる救いの知らせを「福音」と呼びます。福音の中心はイエス・キリストご自身です。


◆洗礼 (せんれい、ギリシア語の音訳からバプティスマと呼ばれます)

新約聖書において、バプティスマのヨハネがヨルダン川で行っていた「浄化儀式」の日本語訳として考えられた言葉です。動詞「洗礼を施す」は、ギリシア語では「バプティゼイン」と言い、「バプティスマ」という言葉はここから来ていています。具体的に言いますと、全身を水に浸すか、または身体の一部に水を付ける儀式です。これは、イエス・キリストの救いにあずかる者(キリスト者・クリスチャン)と認める儀式であり、教会の信仰を受け入れることを告白した人に授けられます。洗礼を受けた人はもちろん教会のメンバーとなります。


◆クリスチャン(Christian)

クリスチャンは、キリスト(Christ クライスト)の派生語でキリスト教の信徒(洗礼を受けたもの)を指します。イエス・キリストが神であると信じ、その教えを守る者がキリスト教徒であると言えます。語源は「香油を注がれ神聖となった者」という意味のギリシャ語のクリストスです。英語 Christ には「救世主」という意味も含まれます。キリスト教会では「キリスト」の言葉はイエスだけを指します。 日本ではイエス・キリストをフルネームのように扱うことが多いのですが、正確には「聖なる王イエス」という呼称です。


◆主の祈り(しゅのいのり)

イエス・キリストが「このように祈りなさい」と弟子たちに教えてくれた祈りの言葉で、信者の祈りの基本形です。マタイによる福音書第6章9〜13節とルカによる福音書第11章2〜4節に記されています。内容は教会牧師にお聞きください。


◆十戒(じっかい、The Ten Commandments)

エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、主なる神の導きによって脱出し、シナイ山で神様との契約の民となった時に、神がモーゼに与えた十の戒めです。出エジプト記第20章1〜17節と申命記第5章6〜21節に記されています。

(1)「あなたには、私の他に、他の神々があってはならない」
(2)「自分のために、偶像を造ってはならない」
(3)「主の御名をみだりに唱えてはならない」
(4)「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」
   (キリスト教会では、キリストの復活された日曜を安息日として、礼拝を行っています)
(5)「あなたの父と母を敬え」
(6)「殺してはならない」
(7)「姦淫してはならない」
(8)「盗んではならない」
(9)「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」
(10)「あなたの隣人の家をむさぼってはならない」


◆イースター(復活祭、Easter)

十字架に架けられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを記念する日を、「イースター」と呼ばれます。復活祭そのものは移動祝日といわれるもので、その年によって日付が変わりますが、基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われます。


◆ペンテコステ(聖霊降臨際、ギリシャ語の"Pentekoste" --50の意味-- に由来)

復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて天に上った後、事実聖霊が弟子たちに降り、弟子たちが力を与えられてキリストの福音を宣べ伝え始めたことを記念する日です。つまりそれは教会の誕生日でもあります。イースターの50日後の日曜日ですので、イースターと共に日が動きます。

◆クリスマス(降誕祭、Christmass)

イエス・キリストの誕生を祝う日です。12月25日ですが、ただこの日にキリストが誕生したという歴史的資料があるわけではありません。古代の冬至の祭りを教会が取り入れ、キリストの誕生の祭りとしたのが始まりのようですが、これが世界中で定着しました。


◆ワーシップ(礼拝、Worship)

教会ではキリストの復活された日曜を安息日として、礼拝を行っています。日本語で通常「礼拝」と呼ばれているものは、日曜日の朝に教会で行っていることで、英語でいうところの「Service」にあたります。最近は、いわゆる「賛美」の部分、つまり、歌を歌って礼拝する部分のことを「賛美礼拝」とか「プレイズ&ワーシップ」という言い方で区別しています(下の項目を参照)。


◆プレイズ&ワーシップ(賛美礼拝、Praise & Worship)

キリスト教の礼拝形式の一つであるプレイズ&ワーシップとは、世界中の教会で用いられている賛美の方法で、現代的な音楽(Pop系などを中心として)を用いて、自分たちの言葉で神様を賛美しようという試みです。より自由で深い神様との交わりを求める人々がプレイズ&ワーシップを用いております。


◆アーメン(Amen)

ヘブライ語で、「本当に」「まことにそうです」「然り」の意味。原意は「安定」。古代ユダヤ教会では、ラビが聖書の一句を読み、続けて参会者が復唱することで、聖書暗記教育をしました。しかし、次第に復唱がめんどうになり、「アメン!」(そのとおり!)とだけ言うようになり、これがキリスト教にそのまま受け継がれたと言われてます。 聖書の中にもそのままの形で出てきます。
教会では、共同の祈りの最後に全員で「アーメン」と唱えることによって、その祈りが参会者全員の共通の思いであることを表しています。


◆ディボーション(静思の時、devotion) 言葉としては最も難解かもしれません。

ディボーションと個人的に聖書を読みながら、神様との交わりの時間を持つ事を意味します。毎日、朝と夕方に祈りの時間を持つことで十分だと思うかも知れませんが、詩編81:13には神様はご自身の民がご自身に耳を傾けることを願っておられると記されています。
特にヨハネ15:7にはこれがはっきり書いてあります。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:7)
神のみことばに対する黙想なしに、自分の祈りばかりささげるというのは、神のみこころより自分の考えに従って祈りやすく、そういう場合主は私たちの祈りに答えられません(ヨハネ5:14)。
私たちはみことばを黙想する時間を持つことによって始めて、自分に対する主のみこころが何であるかがよくわかるようになります。みことばに耳を傾けると私たちは御声を聞き、そのみこころに従って祈ることができ、また神様も私たちの祈りに答えることができるのです。
ディボーションとは、みことばを通して神様の声に耳を傾け、また祈りの中で神様にその願いをささげることを意味します。つまり、ディボーションは生きておられる神様との生き生きとした交わりなのです。


◆献金(けんきん、Offertory --Offeringから--)

英語の Offertory を日本語訳にした時に「献金」としたと思われますが、単純にお金だけを寄付すると誤解されてしまう訳かもしれません。本来は信仰の証として奉げるの意味です。
この Offertory 根拠は、旧約聖書のマラキ書3:8−11にあります。「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる」。
神は、私達の収入の十分の一をもって「わたしを試みなさい」と言われてます。そうすればあふるる恵みが奉げた人に与えられると言っている訳です。10人奉げる人がいれば、1人の神に仕える者が生活できます。50人いれば小さな教会が建ちます。200人集まれば広い地域に福音を広める大きな糧が得られます。
決して、貧しい人が献金したもので、豪華な教会を建て、指導者が贅沢な生活を送る訳では有りません。また高額な献金を強制するものでもありません。信仰の証として奉げ、それが福音の為、人の救いのために使われるものであり、それが奉げた人への恵みともなります。
献金は本人の意思に任されます。また、信仰心がまだ芽生えない方が無理をして献金する必要はありません。

◆ハレルヤ (Hallelujah)

主をほめ賛えよ、の意。旧約聖書の詩篇で、神を賛美し、喜びを表す語。キリスト教会の聖歌・賛美歌に用いられる。

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